封建制度の時代にあって、常に女性たちの味方であり続けた東慶寺は、ほかには例を見ない縁切りの寺法が600年近くにわたり引き継がれた歴史を持つだけに、この寺の宝物にも縁があり別れがありと、数奇な運命を有するものが数多く存在しています。
永正12年(1515)の火災や、大正12年(1923)の関東大震災を経てきたためか、本尊の「釈迦如来坐像」と重要文化財の「聖観音菩薩立像」を除いては、いずれも小さな像となっています。
本展では、常設展示の「聖観音菩薩立像(重要文化財)」「香薬師如来像」「観音菩薩半跏像(鎌倉市指定文化財)」のほかに、当寺20世住職天秀尼の念持仏「阿弥陀如来立像」などを特別展示いたします。
また、特別展会期中、東京国立博物館東洋室長の浅見龍介氏をお迎えして『展示仏像説明会』を開催いたします。
『展示仏像説明会』
日 時: 第一回目 2月22日(水) 13:00~15:00
第二回目 3月12日(月) 13:00~15:00
会 場: 東慶寺 「松ヶ岡宝蔵」および「書院」
*松ヶ岡宝蔵にて展示仏像拝観後、書院にて説明会を行います。
解説者: 浅見龍介氏(東京国立博物館 学芸研究部調査研究課 東洋室長)
定 員: 各回50名

≪各回ともたくさんの方にご参加いただき、大好評のうちに終了いたしました。ありがとうございました。≫
桃山時代の代表的な蒔絵は豊臣秀吉夫妻の遺愛の調度品にほどこされた絢爛豪華な蒔絵「高台寺蒔絵」が有名ですが、これに対し桃山時代から江戸時代初期を代表するものとして、東慶寺所蔵の一群の蒔絵があげられ、これを「東慶寺蒔絵」と称しています。
これらの蒔絵は、豊臣秀頼の娘で東慶寺第二十世住持であった天秀尼愛用のものを中心に、調度品60点余からなっています。これらの蒔絵の中には天秀尼以前の、歴代尼僧所伝のものもあったと思われます。このように多くの蒔絵が散逸をまぬがれて伝わったのは、まず尼寺ゆえ男子禁制でみだりに一般の人が出入りしなかったことや、北条氏直の印判状に見られるように道具類の管理が非常に厳しかったことなどの理由によるといわれています。しかし、大正12年の関東大震災によって、これらの調度品を収めていた土蔵が倒潰したため、多くの品が損傷し、かなり失われたようであります。
本展では、これら東慶寺蒔絵の中より重要文化財に指定されている「初音蒔絵火取母」や「葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱」などを展示いたします。
青邨は東慶寺の中興開山である釈宗演に参禅し、東慶寺によく写生に訪れていました。春女はその青邨の縁で戦前しばらく寺の「離れ」に住んでいた事があります。その頃描いた絵や色紙、短冊が寺には数多く残っています。
また その後、俳誌「若葉」主宰の富安風生のもとに絵を教えに行くようになります。春女も俳句を詠むようになり、東慶寺を詠んだ俳句を多く残しています。
その画風は女流らしい細やかな線で色彩もやさしく、また俳句ではとくに女らしい繊細な情緒がよくあらわれています。
木下 春 (きのした・はる)
1892~1973、福島出身
前田青邨門下の女流日本画家
[出品作品より]
奈良新薬師寺に伝わった銅造香薬師如来像は白鳳時代を代表する傑作のひとつであるが、昭和18年盗難にあい今に発見されていない。
時の住持の悲嘆を見かねて、東大寺の上司 海雲師が文芸春秋社長 佐佐木茂索氏に話し、氏もこれに同情し、幸いに寺にこの立像の石膏模型のあるのを利用し 昭和25年に3体の模造を鋳造、一体を新薬師寺に寄贈し、一体を国立博物館に、もう一体を佐佐木家に所蔵したが、27回忌に東慶寺に寄贈された。
本像は模造とはいえ大変精巧な作でよく当初の面影を伝え、微笑をたたえた童顔の面相、薄い衣を透かして体躯の抑揚がたくみに表現されているのも白鳳後期(7世紀末)の特色で、左手には小さな薬壺をとり 前につき出した右手も人々をさしまねくようなしぐさ。
この像もまた 深い感銘を与えるであろう。
(久野健博士解説)