東慶寺伝来蒔絵とは

東慶寺伝来蒔絵とは

 

昭和十七年春、吉野富雄氏が、当寺の古長持に収められていた調度品のほこりを払い整理し目録を作り、前田青邨・安田靭彦・小倉遊亀・松田権六ほか諸氏の協力を得て東慶寺伝来の蒔絵保存のため銘々に箱を作り、展示して、「東慶寺伝来蒔絵」の名がようやく世に知られ、京都の高台寺蒔絵には及びもないが、江戸時代への過渡期の蒔絵の作品群としてこの名が称されるに至った。

 

これらの調度品は天秀尼愛用の物を中心に六十余点がある。室町時代から伝来の名品はもとより、江戸時代にも、「毎年虫干の節は寺家一同並役人一統立合出し入れ致すべし」と厳重に規定しており、男子禁制の尼寺で一般の人が入れなかったのでよく残存したのであろうが、大正十二年の震災で土蔵がつぶれてかなりの損傷があった。「東慶寺伝来蒔絵」は「高台寺蒔絵」のように特定の意図で製作されたものではなく天秀尼所持のものを中心とし、それ以前の室町時代より伝来のもの、江戸中期以後のものも雑然とまじってはいるが、桃山より江戸初期への過渡期の特徴をよく示している。

 

技法的にみると模様は平蒔絵が主で、螺鈿や薄肉の高蒔絵の併用がわずかに見られる。器形では、硯箱と小物入れをひとつにした懸硯、重箱式の弁当箱、提重、箱の蓋面えを肘掛けにしつらえた寄懸りという脇息、桐唐草丈ののびのびした桃山調の衣桁、蛤貝を平蒔絵と螺鈿で散らした白粉入れ、皮貼りの上に桔梗と蝶を金蒔した文箱、蒔絵ではないが、うずらと秋草を彩画した聞香具、朱色の机面に青貝でトンボと蝶をとばせた八足机、黒塗り天目型茶碗、重ねの剃刀箱はいかにも尼寺らしい独特さを感じさせる。