日記帳・寺法・三下り半

日記帳・寺法・三下り半

『松岡日記』

 

慶応二年の『松岡日記』によると、この一年間に駆入りの女人は四十一人を数えられる。このほか残存文書の上からさらに一人の駆入女が見出されたから都合四十二人、寺法在寺中の者四人、逗留一人、全部で四十七人。この内訳縁切駆入三十八件中不受理1、下ゲ4 、取下ゲ1、帰縁3 、内済25、不明4滞留四件中不受理1、入寺2、下山1 、弟子願1 、寺法在寺4駆入女の年齢最低二十歳、最高五十四歳、平均二十九歳裁決の日数は不受理や下げの場合は即日、あるいは翌日。おそいのは三十七日かかってしかも取下げの一例があるが、遠方から駆入の場合には、掛合に日時を要するゆえ一件落着までの所要日数は件々により不定であるが、平均して十一日となる。

 

他の松岡駆入文書では駆入りの日時不明の場合が多いが、この日記では駆入りの月日、親元、夫方、媒人等の呼出、到着、役所での取調べ、落着引取までの始末が明らかで、寺法上重要な史料である。

 

寺法引取状に「御慈悲を以て離縁なし下しおかれ」とある。内済離縁引取状では「御山の御威光故と難有仕合」というようなきまり文句が入っている。

 

寺法書には「釈然解脱」という観音経の偈の一句の印を捺してある。しかもこれを方丈印という。東慶寺の住持尼が観音の大悲救苦の精神でこの寺法を行うの意であり、院代はこの指令を奉じて寺法を執行し寺役人、御用宿もこの慈悲の寺法を松岡御所の御威光を以て行使したから順調に強力に迅速に行われた。