年表

1285年 弘安八年
北条時宗夫人 覚山志道尼(安達義景の女・法名は潮音院殿)、山ノ内に 東慶寺を開創
<覚山尼は不法の夫に身を任せた女性を不憫に思い、この寺に駆け込む ことによって女性を救う「縁切」寺法を始めたと伝える>
1332年 元弘二年
四世了道尼、梵鐘を作る(現在の梵鐘は材木座補陀洛寺のもので、東慶寺の梵鐘は、現在韮山・本立寺にある)
1333年 元弘三年
後醍醐天皇・皇女が入寺、五世用堂尼となる
1515年 永正十二年
北条氏綱、鎌倉三か寺(建長・円覚・東慶の各寺)の諸公役を免除する
1590年 天正十八年
豊臣秀吉、北条氏を小田原に滅ぼし、会津に向かう途中鎌倉に寄り、 東慶寺などの所領を安堵する[秀吉朱印状]
1615年 元和元年
大坂落城、豊臣秀頼は母淀君と自害。秀頼の息国松は京都六条河原で処刑、 息女天秀尼(のち二十世)は家康の命により東慶寺に送られ、法清尼の附弟となる
1616年 元和二年
平戸のイギリス商館長リチャード・コックス、江戸から鎌倉を訪れて門前を道り、 東慶寺のことを書き残す[日記]
1634年 寛永十一年
仏殿が再建される。また、前年に自刃した徳川家光の弟駿河大納言忠長の御殿が東慶寺に移される
1642年 寛永十九年
天秀尼、父秀頼菩提のため、雲板を鋳造する[銘文]
1719年 享保四年
徹宗尼、永山十三回忌に泰平殿を建立し、旧太平寺観音像を祀る[扁額]
1736年 元文元年
徹宗尼(蔭凉軒七世)示寂[過去帳]
1738年 元文三年
東慶寺に現存する最古の離縁証文が書かれた
1745年 延享二年
東慶寺役人村上嘉太夫が「寺例書」に寺法の詳細を記す
1813年 文化十年
門前の火災で外門、松岡役所が類焼。役所は安政二年に再建
1866年 慶応二年
この年の駈入り女人は四二名、寺法在寺四名、逗留一名の全部で四七名を数える[松岡日記]
1871年 明治四年
明治政府、寺領を没収し[社寺領上地令]また縁切寺法を禁ずる
1905年 明治三十八年
建長・円覚寺両派管長の釈宗演、東慶寺に遷住(二世)
1919年 大正八年
釈宗演示寂、東慶寺中興開山の称号を贈られる。佐藤禅忠、住職(三世)となる
1923年 大正十二年
関東大震災により、諸堂倒壊。元禄以来の書留や縁切文書等も多数消滅
1935年 昭和十年
本堂再建。禅忠示寂、その後は浄智寺住職の朝比奈宗源が兼務
1941年 昭和十六年
井上禅定、住職(四世)となる。宗演の弟子鈴木大拙、師の遺言に基づき 「松ヶ岡文庫」を寺内後丘に創立する
1978年 昭和五十三年
松岡宝蔵を旧方丈跡に新築し、寺蔵の史料などを保管、展覧に供する
1981年 昭和五十六年
井上正道、住職(五世)となる。禅定は浄智寺住職となる