~現代

 

 

佐藤禅忠

宗演老師遷化後、その遺言書により東慶寺の後住は佐藤禅忠師が継いだ。師は明治16年1月29日弘前市佐藤忠正氏三男として生まれた。幼名忠三。忠三は明治40年初夏24歳のとき東慶寺に宗演老師を訪ね、血書の歎願書を呈し師弟の約を結んだ。

 

宗演老師より壮行の詩を送られ、木綿衣、脚絆草鞋に頭陀袋をさげ、肩には振り分けに袈裟文庫、網代笠の雲水姿で松ヶ岡を下り、東海道を行脚して京都妙心寺僧堂に掛搭した。さらに岡山曹源寺に転錫、円山全提に師事。円山師、後に大徳寺管長に就任されるや、さらに大徳僧堂に参究された。東慶寺住持となり、その弁舌と書画をもってよく化門を開いたが、大正12年9月1日の関東大震災に堂塔伽藍一時に潰滅するや熱誠これが復興に尽力し、書院、本堂等を再建された。師は布袋和尚のような風貌で天性画をよくし、空華道人と号して観音、遠磨、寒山拾得、布袋、花鳥風月その筆端に躍動せざるなしの趣であった。
昭和10年10月23日53歳にて示寂。

 


兼住朝比奈宗源

禅忠師遷化のあと隣寺浄智寺住職朝比奈宗源老師兼務住職。師号は別峰。明治24年1月9日、静岡県庵原郡和田島に生まれ、35年興津清見寺真浄阪上宗詮老師に得度、42年妙心寺僧堂、大正6年以来円覚寺僧堂にて修禅、古川堯道老師に嗣法、大正11年浄智寺住職、昭和17年以来円覚寺管長。かつて中国・南洋巡錫、昭和29年5月米国政府の招きをうけ渡米、欧印巡錫。円覚僧堂の師家として雲水居士大姉の接化、布教伝道に寧日なく、昭和39年春、大正の大震災にて倒潰した円覚寺大仏殿再建、又世界連邦日本仏教徒協議会会長として平和運動に活躍されたが、昭和54年8月25日遷化88歳。

 

井上禅定

明治44年1月20日神奈川県高座郡渋谷村高倉に生まる。大正の初め父の転住にて足柄上郡南足柄村狩野極楽寺に移る。大正10年春、東慶寺禅忠師徒弟となり、幼名の丈夫を改名。東京帝大印度哲学科卒業後、京都天龍寺僧堂の関精拙老師に就き、昭和16年東慶寺住職となる。18年春応召、千葉県佐倉の部隊で軍務。終戦帰還、昭和46年から49年まで円覚寺派宗務総長、56年8月より浄智寺住職。平成18年1月26日95歳にて示寂。

 

井上正道

昭和56年、東慶寺住職となる。