明治35年 順荘尼がなくなって東慶寺は尼寺としての歴史を閉じた。
明治38年春円覚寺派管長
この宗演・大拙を通して駆込寺東慶寺は女性救済の尼寺とは又一変して世界的禅の発展の基地としての寺となった。
明治26年9月シカゴに万国宗教大会が開かれると、宗演は四人の日本仏教代表の団長として出席、『仏教伝通概論』のスピーチをした。その英文は当時参禅の居士大拙鈴木貞太郎が作製したもので、これは米国の雑誌に掲載された。大拙貞鈴木の英文として米国人の目にふれた最初のものである。
宗演はこの時、哲学者ポール・ケーラスと会い、夜ふくるまで談論し、ケーラスは大いに刺激されてTHE GOSPEL OF BUDDHAを著し、試刷を宗演に送ってきた。それを大拙が訳し、28年1月には『仏陀の福音』と題して刊行された。これが大拙の処女出版である。
宗演の遺志により 昭和17年 宗演門下の居士鈴木大拙は東慶寺境内裏山に「松ヶ岡文庫」を創立し、昭和53年、松ヶ岡宝蔵ができ、東慶寺の宝物が常設されるようになった。
宗演、号は
峨差多端古巌前 擲命深潭凌苦屈 一死再蘇竜子吟 嘔阿透徹九渕窟
と証明の