平安時代末期から勢力を高めてきた社寺は、いつのまにか、罪過ある者が逃げ入れば許されるという、治外法権をもつほどに至っていた。そんな中で東慶寺は、罪人の救済所というよりも、女人救済の「駈込寺」として人々に知れ渡り、寺法が確立され、江戸時代には幕府から補助金も出たと記録に残っている。江戸時代に入り、他の寺では救済所としての特権が失われていく中で、東慶寺だけは600年近く縁切りの寺法が引き継がれてきたのである。当時の女性たちが、いかにこの制度を必要としていたかをうかがい知ることができるだろう。

 明治4年3月、寺法の存続を願い出たが、夫婦の離縁を1つの寺の法則として取り扱うことを今後堅く禁ずるとして、同年7月をもって東慶寺の縁切寺法は明治政府によって禁止された。
 明治6年5月、「人民自由の権利」によって松ヶ岡の寺法は、裁判所に引き継がれ、女性も男性同様に離婚の申し立てができるようになった。駈込寺の幕を閉じたのち、明治36年には古川堯道老師が住職につき、男僧第1世となった。

 その後、東慶寺に遷住となった釈宗演老師によって駈込寺は、禅の道場に一変。大正8年、61歳で示寂した際、東慶寺中興開山の称号が贈られた。そして、昭和58年には第5世の井上正道が住職となり、現在に至っている。


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